ハード デイズ ナイト

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哲学者

私は、10代の頃は異様に本を読んでいたんですが、社会人になると飽きて読まなくなってしまいました。
書を捨てよ町に出よう。そのとおりだった、寺山修二。
“言語の限界”を知ってる人じゃないと言えない言葉ですね。
書物を持ったことない人には必要ない言葉なのですが、書物が大好きな人にとっては頷けない不快な言葉だと思います。
そんなわけで本を読むのがめんどくさい私は、10代の頃の遺産で生きてるなあ…としばらく思っていたのですが、最近また本を読みだしたいなあと思いつつ、やっぱまだめんどくさいですどうしよう。
それでも今までの読書量は、一般に比べるとかなり多いとは思います(単にマニアックなだけな気もしますが)。
その頃、哲学書とかもやっぱり(読んだなんて大きい声で言えないけど)読みつつ、小説以外の本を夢中で読み始めた頃は、“哲学者”ってどうゆうことなのか、何をする人なのか、なんとなくわかるようでわからなかったんですね。
言語を言語で語るなんて得体が知れないですから、そんなふうに思う人多いと思います。
それが二十歳頃、フーコーのインタビュー集を読んでいたときわかりました。
フーコーは、何気なく普通にノートを「トン(t)」で表現してました。

いちおう私も学生なので、レポートとか卒論とかがあるわけで、ノートをとってるわけです。
本を読みながらも授業を聞きながらも、ノートをとっている。
気になったことをまとめたり要約したり、考えを書いていく。文字を書くという行為をする。
だけど、一生ノートをトンでなんて数えないと思います。いくら紙が重たいとはいえ。
プルーストとかはさておき、普通は小説家だってノートをトンでは数えないでしょう。
いくらなんでもそんなに書かないし、もっと細かなことにこだわり抜いて細部をネチネチ熟考するはずです。

哲学者とは、ノートをトンで数える人。
それこそが哲学者。

個人的な意見ですが、今はパソコンがいかに便利であろとも、やっぱり哲学者ならノートを何気なくトンで数えなきゃいけないと思います。
パワーポイントで講義されるとわからないし、見にくくて手元も暗いからノートもとれないし。


フーコーとデモ?
 フランス名物デモとフーコー?

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