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『福翁自伝』 読書ノート 其の一

福翁自伝福翁自伝
(2009/04/21)
福澤 諭吉

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レビューはまた別に書きます。以下は日記のような読書のメモです。

引用の(カッコ)内はルビ、太字は私の強調です。

〈ある時、私が何か漢書を読むうちに、喜怒(きど)色にあらわさずという一句を読んで、その時にハッと思うて大いに自分で安心決定(けつじょう)したことがある。「これはどうも金言だ」と思い、終始忘れぬようにしてひとりこの教えを守り、そこで誰が何と言って誉めてくれても、ただ上辺ほどよく受けて心の中には決して喜ばぬ。また、何と軽蔑されても決して怒らない。どんなことがあっても怒った事はない。いわんや、朋輩同士でけんかをしたということはただの一度もない。ついぞ人と掴みあったの、打ったの、打たれたのということはちょいともない。これは少年の時ばかりでない。〉25-26頁

これを読んですぐ、私も「金言だ」とすごく影響を受けました。
確かに、福澤諭吉って、喜怒色にあらわさずなデカい態度のクールな印象あります。
いかにややこしく激烈な感受性で、難易度の高い問題を複雑に思案していようと、喜怒色にあらわさずだったんですね。

〈たとい議論すればといっても、本当に顔を赤らめてどうあっても勝たなければならぬという議論をしたことはない。何か議論を始めて、ひどく相手の者が躍起となってくれば、こちらはスラリと流してしまう。「あの馬鹿が、何を馬鹿なことを言っているのだ」と、こう思って、とんと深く立ち入るということは決してやらなかった。それでもう自分の一身はどこに行ってどんな辛苦もいとわぬ。〉26-27頁

確かに、「議論したがる奴は馬鹿」くらいはわかってましたけど。
生きていてつくづく思うことは、「言葉を使う」って、「」ですよね。
読んでても、大概、業だなーという、ある意味人間の中身がない感じになっていたりする。
もちろん、ブリリアントなものもたくさんあるんだけど、業なものを見ると、そのしょうもなさ、中身のなさにテンションが下がる…。
この人は、単に業でこれを書いているんだろうと。
そんなものを読まされてもさ…。
まして、お金なんて払えない。

その業を、超えたところにあるような文章がブリリアントなわけです。
理性とか、客観性とかは必要不可欠だけれど、多分、それだけでは業は超えられないんでしょうね…。

さらに、とても少ないことですが、「生きた文章」を書ける人が、稀にいる。
そうゆう文章を読むと、生き返ったかのように活力が湧いてくる。
先月、たまたま借りて読んだこの本が、「生きた文章」で書かれていて驚きました。

「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか―面白いように「やる気」が目覚める9つの方法「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか―面白いように「やる気」が目覚める9つの方法
(2006/01)
カワン スタント

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大学生のための自己啓発書というわけではなく、著者は「生きた文章」を書ける稀な人なので、「やる気」になりたい、活力がもらいたいすべての人にオススメです。
個人的には、「生きた文章」だった点と、「アジア人という視野」が明治の日本人的で、「私もこれからアジア人という視点を大事にして生きよう」という考えの具体案を得られたことがうれしかったので、レビューというか、忘れないための簡単な読書メモを書こうかなあと思ってます。

基本的に、言語とは、経験より過剰であり、経験より不足であるわけです。
だからこそ、コミュニケーションは困難であり、言葉を使うことがしょうもない業になってるような文章も溢れていたりする。(人のフリ見て、我フリ直せ)
そんななかで「生きた文章」を読んだので、とても生き生きとエネルギーを貰えました。

『福翁自伝』の引用に話を戻しますと、二十歳のころの大江健三郎が、質問されたサルトルがすごくいい加減に答えてたのを見て「俺も大人になったらああしよう」と思ったみたいなことを言っていたことが忘れられないのですが、それを思い出しました。
(かなり前に立ち読みしただけなので、ウロ覚えですが)

二十歳のころ―立花ゼミ『調べて書く』共同製作二十歳のころ―立花ゼミ『調べて書く』共同製作
(1998/12)
立花 隆東京大学教養学部立花隆ゼミ

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