ハード デイズ ナイト

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「No Future」の意味

四月は寒暖差がキツかったですが、皆様お元気でいらっしゃるでしょうか?

私はというと四月病(と勝手に呼んでる。詳しくは下の記事)でしたが、友人がプチ鬱になって、そうゆうので消耗させられて疲れてた部分もあります。

(以下は、振り回されてましたという話です。最後に、ちょっとマルコム・マクラーレン追悼もあります)

そろそろいいかなと思うので書きますが、友人がプチ鬱になって、いろいろ(カウンセリングのように?)話聞いてたりして、消耗させられて疲れてました。
普通に会話してても、図らずも全部カウンセリングみたいになっちゃうんですね。
それが1回とか2回なら問題もないかと思うんですが、永久的なので………ね。
私のようなバカなほど考え過ぎてしまう人間には、消耗度激しいです。
何故私があまりに消耗させられてずっとしんどいのか、ということに気付くのに、悩まされて半月くらいかかりましたもん…。
何故、私が友人の人生やトラウマや悩みを丸ごと背負ってるのだろう?ということに気付いたわけですが。(友人は背負ってないのに…)
そこからがまた大変で、結局半年くらいずっと背負わされてたんじゃないかなあ…と思います。
結局のところ。
まあ、すっげえしんどかったわけです。友人なだけに。

この経験から、ちょっといろいろ書いてみますね(気が向いたら別記事に)。

私がウツについて知ってる2、3の事柄、とか。
偽善者の責任とれなさっぷりとか。
恐怖を感じるくらい現実を見ないから偽善者なんだな、とわかったとか。

わかるまでは振り回されっぱなしだったので、振り回されないためにもこの経験から発見できたことを整理しておいた方がいい気がするので。
半年ってけっこう長いですよね…;

とにかく、今まで「現実」というものを放棄して逃げまわってきた友人には、この歳になって現実を受け入れるのは大変だろうと思いますが、無理しない程度に現実と自分の責任を引き受けて欲しいと思います。
結局のところ、現実を受け入れられないとウツになるのだと思いますが、自分からは逃げられないですからね
それが「責任」とか「現実」ってもので…。

友人が、「『悪い人じゃないんだけどなあ…』と言われる人というのは、実はかなり評価が低いのではないか」と言っていたことが、印象的でした。
「結局のところ、(そうゆう人は)すごく自己中心的で、それ続けるために『いい人』だから、偽善者なんじゃないか」と。
すごいなるほどでした!!
思い当たる人、3、4人知ってる……;(全員オタク…;)
友人が「前の職場で自分がそう言われていたのを聞いたことがある」という経験(←すごい…;;)からの発言なので、すごい説得力&目から鱗の発見でした。

人間の価値って、どこで決まるかというと、自分に責任が取れるか取れないかのような気がします。

そんなことに気付くくらい思い悩みましたが、とりあえず、友人関係は続けていきたいんだけど、振り回されないようにしたいなーーーと思います。
私がどれだけ悩んだって、しんどくたって、あなた(自身の人生の問題)は直らないんだからね、自分でしないと、ってことだからです。
私が悩んだとことで、それが報われるなら意味があるかな、力になれるかな、と思ったんですが、結局のところ、友人が自分で責任を引き受けない限り、私がしんどいだけで、無意味で、どうにもならないわけですから。
高尚なことを言う気はありませんが、自分で「責任」を引きうけない限り、人間って、成長しないんですよ。

あと、「論理的」とか、「客観的」というものは大変あやしいもので、自己中心的に使用できる(というか使用してる「自分が正しい」おバカさんがほとんどな)わけで、「論理的」や「客観的」な自分というものは信用し難いと思うのがいいと思います。
この辺をマジでやってる人がオタク(的性格の人)には多いからやっかいなんだけど…。
(オタクによく見られる性格的なやっかいさについては、こちらの記事のコメント欄に少し説明してます)

「論理的」とか「客観的」よりも、むしろ「相対的」に考える方がいい気がします。
「論理的な自分」とか「自分は客観性に優れてる」とか思ってる人は、要注意!!
やっかいなおバカさん(オタク?)注意報!!(笑)

「自分」なんて、他者との関係性のなかにしか発生しないわけですよ。
「論理的」とか「客観的」な自分な人は、すごく「絶対的」なんですよねー。
「相対的」に考えると、解決しやすいし、自分も楽だと思います。

例えば、理解したいと思って近づけば近づくほどわからなくなって、ちょっと離れて距離をとって見た方が物事がよく見えるじゃないですか。
それに近いです。

他人のことなんてわからないわけです。
どうにもできないという意味で、わからないわけです。
もし、私は頭がいい!!客観性に優れていて、論理的だから、他人が理解できる!!という人がいたらですね、あなたどうにかしなさいよ、ってことです。
できないんなら(できるわけがない)、それは他人のことなんてわからないということです。
自分自身でどうにかするしかないんですから。

人間の価値なんて、自分で責任が取れるか取れないかだと思いますし。
それを自分でどうにかしない限り、現実(自分)なんて変わりませんよ。

「絶対にこうじゃなきゃダメだってことはないんだ!!」(ジョン・ライドン)

Sex Pistols の有名な「No Future」っつうのもそうゆう意味なわけで。




言語はパワー(強い影響力)はあっても、意味はないですからね。
(言語なんていうものを使うややこしい生き物だから人間は鬱になったりもするわけですが)
繰り返しますが、「自分」なんて、他者との関係性のなかにしか発生しないわけです。

人間の価値なんて、自分で責任が取れるか取れないか。
そこに私はその人の美しさをいつも感じますよ。
もちろん、責任の取り方はどうあってもいいわけで、そこが自由で最高にクリエイティブなわけです!!

マルコム・マクラーレンも亡くなられたので、こんなことをまとめてみました。
遅くなりましたが、追悼します。
(すばらしい追悼記事が読みたい方は、みかこさんのブログへぜひ行かれてください)

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