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ハード デイズ ナイト

ディスコミュニケーションとコミュニケーション

前回に引き続き、90年代テイストを引きづる私です。
90年代って、「主体の不在」感の時代だったよねーー。

主体というか、「最終的には肉体が強いよね」みたいなのを取り戻す感もありつつも、完全にそっちにならない。
そんだけ何かがあるということでしょうか。

「主体の不在」をやりきった先にある境地に行くべきなのか、「行動の人」として肉体をゲットして現実的長距離ランナーになるべきなのかわからないー。

もっと何かいい解決方法あるかしら?
(あったら教えてください)

つまり、「主体」はどこへ行くのか?って話なんですけどね。どちらも。

どっちにしろ、「やりきる」て大事だと思うけど、「決定、決断」しないとやりきれないじゃない。
と思うと、一種のディスコミュニケーション状態(わかりやすい例・宮澤賢治の「イーハトーヴ」)を押し通してやりきれてる人ってほんとすごい。
これを現代で「やりきる」のは至難の技さー(近代ならまだしも)。
混沌を持ち運べなきゃあね。
歴史に逆らってるんだから、すごい大変で苦しいですよ。
子供時代返上して大人になってるくらいしんどいし普通はできない。

(以下は、案の定、一人言です。前記事の「混沌」の続き、パート2みたいな感じですが)

昔から日本大好き(歴史好き、司馬ファン)ですが、日本萌えたい!!とか思います。

それがですね。

新しい目線で萌えたいな、と思いまして。

SF的ってゆうか。

「現在」で考えると、押しつぶされそうになるので。ほんと。レベル・トラウマくらい行けるかもじゃん。
「現在」は、歴史の積み重ねによって、現在なわけで。
歴史の重力に非力さを感じるわけですよ押しつぶされて。
重力を消化というか、立ち直るの大変でしんどかったりするもんだから。

SFは、バリバリの「エス・エフ」はあまり詳しくないんですが、「少し・不思議」好きです。
「少し・不思議」と「現在」をちょっと足したくらいの変化球の現在(未来から見た現在)を見たいかなあと。
そんな目線で見て萌えてみたい。

日本の秘境100選とかめっちゃ行きたいですよもう。
ひたすら未来の人として見るわ。
押しつぶされないように。
そこそこ過去(つまりは歴史の堆積としての現在)を郷愁しつつ。


宮澤賢治のイーハトーヴのような「異界」という一種のディスコミュニケーションなんじゃなくって、コミュニケーションとしてさ。
SF的ってゆうか。
未来として現在を見る。
ありもしない理想郷の異界を見るのではなく。
「異界」とか妖しいものはいつまでも大好きですが、大人になった今はキツイと思うのね。
こんな高速の情報処理社会で現在無視なのはイタいわけで。
観てないんですけど、ティム・バートンの『アリス』も期待されたほどあんまりおもしろくないみたいだし。
現在無視しきれない異界が原因かしら?とか。
アリスもディスコミュニケーションな異界がおもしろいわけで。

ファンタジーの、重力を自由にできるおもしろさというより、SF的に、未来から現在の重力を眺めるのもいいかしら?とか。
ディスコミュニケーションを積極的に解消しようとする現在のなかで、コミュニケーションによって、ディスコミュニケーションを考えるというややこしいことを……求めるわけですよ。

優れた表現なんて、あらゆる多様なディスコミュニケーションをコミュニケーションによって考えてるような気がするのですが。
それを芸術表現と呼ぶ。


前回に引き続き、こんな書き方ですみません。
基本こうゆうのは書かないでおこう(親切なブログがすばらしい)と思っているのですが、私の親切はたかが知れてるような気もします。
「親切」大切ですけども。
だけどこれを親切に(具体的に)書こうとしたら、とんでもなーーーく長くなって、それこそブログを書くということが現実的でなくなってしまうので、こんな記事に…。
「書いてることわっかんねーーーーよ!!」と思われた方いらっしゃったら、どのへんが知りたい(わからない)かおっしゃっていただければ、私のできる範囲でお答えしたいと思います。

なのでこんなだらだら記したブログになっちゃうかも……(?)。
いや、でも、親切心は忘れませんので!!絶対に。

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